“ロマネ・コンティ”を擁するDRC(ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ)のワインは、世界中のワイン愛好家の憧れ!このワインが良く出来た時は、確かに特別の『何か』があり、その『何か』が『飲み手の魂をすいとる』とまで言われます。“ロマネ・コンティ”を王冠にたとえるとしたら、他のDRCの畑はその王冠を飾る宝石として一層の輝きをそえています!!【ロバート・パーカー氏の評価】94〜95点(ワイン・アドヴォケイト誌170号より) ロマネ・コンティの畑の北側に隣接し、DRCが最も広い面積を所有している為、常に安定した品質のワインを造りだしています。果実味に富み、華やかで官能的な香り、ビロードのようとたとえられる滑らかな口当たりが魅力です。商品説明国フランス産地ブルゴーニュ、コート・ド・ニュイブドウ品種ピノ・ノワール100%タイプ赤・フルボディ内容量750ml保存方法直射日光、振動を避けて、18℃以下の場所で保管してください。DOMAINE DE LA ROMANEE CONTIドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ ブルゴーニュの至宝 『DRC』とは【Domaine de la Romanee-Conti】頭文字を取ったもので、あの有名な『ロマネ・コンティ』!!今や、世界的に最高レベルのワインと評されるようになった『ロマネ・コンティ』ですが、その歴史はローマ時代にまでさかのぼり、2000年以上の歴史があるドメーヌなのです。王冠『ロマネコンティ』と、それを囲む宝石たちロマネ・コンティ畑と十字架コート・ド・ニュイの中心に位置し、ときに『ニュイの真珠』と讃えられるヴォーヌ・ロマネ村。この村には6つのグランクリュ畑があり、その全てがブルゴーニュきっての極上品として覇を競いあっています。力強さと複雑さのラ・ターシュ、華やぎのリシュブール、堂々たる骨格のラ・ロマネ、繊細さの極みともいうべきロマネ・サン・ヴィヴァン、そして最後にグランクリュに昇格したグラン・ド・リュ−。ロマネ・コンティは、この5つの宝石に東西南北を取り囲まれるようにして、まさにその中心に君臨しています。ロマネ・コンティだけが、これら5つの宝石のすべての美質をあわせもっているのです。堂々たる骨格をもったロマネ・サン・ヴィヴァンは存在しませんが、ロマネ・コンティにはそれがあります。リシュブールの華やぎをもつラ・ロマネは存在しませんが、ロマネ・コンティにはリシュブールに優るとも劣らぬ華やぎがあります。ロマネ・コンティは文字どおり中心であり、すべてなのです。『ロマネ・コンティ』の誕生中世の頃、ロマネコンティとロマネ・サンヴィヴァンの大部分は『サン・ヴィヴァン修道院』が所有していました。また、リシュブールやラ・ターシュの一部は『シトー修道院』の所有でした。18世紀初頭頃には、ルイ14世の持病を治療するために、担当医が毎日スプーン数杯分の『ロマネコンティ』を処方していたというエピソードがあります。その後、これらの畑は競売にかけられることになり、所有権をめぐってルイ15世の寵姫ポンパドール夫人と、軍事顧問的な役割を担っていたコンティ公との間で争奪戦が行われました。そして、1760年、正式にコンティ公が所有者と認められたのです。争いに敗れたポンパドール夫人の怒りは激しく、この事件以降、ベルサイユ宮殿から全てのブルゴーニュワインを閉め出したと伝えられているほどでした。コンティ公は、愛人を40人も囲い、贅沢の限りを尽くしたと言われている人物で、絵画や食事への造詣も深く、いつしかワインにも最高級のものを求めるようになりました。『ロマネ』と呼ばれる畑から作られたワインは、全てコンティ公が独占することとなり、コンティ公宮殿でしか味わえない伝説的なワインとなりました。そして、1789年にはフランス革命が勃発し、貴族の荘園がすべて没収となり、ロマネコンティも同じように名前の変更・畑の細分化の危機に襲われます。しかし、ローマ時代から続く歴史あるブドウ畑は人々の尊敬と崇拝を集めており、革命後もその名声は変わらず守られました。戦争も革命も『ロマネコンティ』には傷を負わすことはできませんでした。1794年、このワインは正式に『ロマネコンティ』と名づけられ、あの“高級ワインの代名詞”『ロマネコンティ』が生まれました。1869年、現当主のオベール・ド・ヴィレーヌの家系がドメーヌを買い取り、すでに所有していたリシュブール、エシェゾー、グランエシェゾーに加え、1933年にラ・ターシュ、1946年にロマネ・サンヴィヴァン、1963年にモンラッシュの畑も手に入れていきました。1942年、会社組織に移行し『DRC』という会社が生まれたのです。2000年間、葡萄の根が耕し続けた大地ロマネ・コンティ専用の発酵槽ロマネ・コンティの畑の歴史は、ローマ時代にまでさかのぼります。ローマ人による統治と葡萄栽培への感謝から、この村の極上の畑に「ロマネ」の名が贈られたのです。以来2000年に渡り、この畑には葡萄が栽培され続けてきました。有機栽培では「根が耕す」ということがよく言われます。人の手で耕すことができるのはせいぜい深さ50〜60cmどまりですが、葡萄の樹は10m以上の深さまで根を張りめぐらします。その根が土を耕し、数十年もたつと土の組成そのものが変わってしまうのです。ロマネ・コンティの畑は、まさにそうして「根による深耕」を2000年以上にもわたって続けてきた特別な土地。かつてローマ人が目をつけた優れた土壌と微気候を、幾十世代にわたる葡萄栽培家達の手が、完璧なものにつくり変えたのです。いわばこの土地には、時間の魔法がかけられているのです。 ドメーヌ ド ラ ロマネ・コンティ 名声を追う必要のない、ただひとつの醸造元ドメーヌの現当主オベール・ド・ヴィレーヌの家系が、ロマネ・コンティの所有権を得たのは、1869年。以来、同家は、ロマネ・コンティのオーナーとしてのみでなく、リシュブール、グラン・エシェゾー、エシェゾーの一部を所有する、小さいながらもブルゴーニュ最高の醸造家として名声を博してきました。以後、1933年にはラ・ターシュのすべてを買い取り、46年にはロマネ・サン・ヴィヴァンの耕作権の一部を取得(88年に畑を買収)、63年にモンラッシェの数うねを買収と、「王冠」ロマネ・コンティの周囲を飾る数々の宝石を入手、原石に磨きをかけ、一層の輝きをそえてきました。この間、1942年にはドメーヌを会社組織にし、正式名称を「ソシエテシヴィルデュドメーヌドラロマネ・コンティ」としました。今日、ドメーヌでは、プルミエクリュの畑も所有していますが、ドメーヌ元詰めものとしては、グランクリュしかリリースしていません。リリースされるワインは次の通りです。ロマネ・コンティ、ラ・ターシュ、リシュブール、ロマネ・サン・ヴィヴァン、グラン・エシェゾー、エシェゾー、モンラッシェ。
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